マルタは以前までイギリスの支配下として置かれていましたがある日を境に独立し、1国家として名乗りをあげました。それまでの歴史ではわからなかったことなども多く、マルタをもっと深く知るうえで歴史が大事になります。
・いつ国として独立したの?
・記念碑ってどこにあるの?
・祝っているけどなんのイベント?
観光地や有名なイベントは観光本やネットに情報が多く乗っているけど歴史やなんでこのイベントがあるかわからないなんてことも多いかと思います。
そこで今回はマルタが独立するまでの流れや独立記念に建てられた記念碑の紹介をしていきます。
この記事を監修している専門家
「布団の中からマルタ」編集長。学生の頃、マルタ長期留学を経験。以前までマルタで暮らしており、現在は、留学サポートや365日マルタの情報を確認。今後は観光本の出版、マルタで永住権取得&会社設立予定。
マルタ独立記念日はいつ?
1964年9月21日
約60年前、マルタの歴史上で最も重要な日付の一つとなりました。
この独立宣言はイギリスから完全に独立するまで何世紀にもわたって、地中海の真ん中に位置する軍事的に絶好な立地のマルタという戦略的な島国をイギリスの支配権から獲得するために多くの国が攻めてきましたが、戦い抜き、生き残ったことを意味しています。
イギリスの支配下としての歴史
1800年、イギリスは当時マルタを支配していたフランスの支配者を島から追放するためにマルタ軍と協力し、支配者の追放に成功しました。その後、イギリスはマルタを支配下として、1803年~1815年のナポレオン戦争中に島を防衛しようとしました。
1814年、イギリスはマルタ諸島の完全な主権を確保し、この地位を今後数十年間維持しました。
この期間、マルタの人々は、教育制度、法的および社会的構造に多くの変化を経験しました。マルタはイギリスの支配下で栄えましたが、激動の時代はマルタ島に多くのトラブルをもたらしました。
1930年代までに、カトリック教会、マルタの政治、英国の支配者との間で緊張が高まり始め、1921年憲法が2回中断されるなど街頭で事件が発生するなどしました。
1934年に公用語としてマルタ語が宣言され、2年後の1936年には、イギリスの公用語である英語も公用語となり、マルタは2つの言語を公用語とするバイリンガル国家となりました。この影響により、マルタでは英語の留学なども盛んになっています。
第二次世界大戦
第二次世界大戦とは939年から1945年までの6年間、ドイツ、日本、イタリアの日独伊三国同盟を中心とする枢軸国陣営と、イギリス、ソビエト連邦、オランダ、フランス、アメリカ、中華民国などの連合国陣営との間で戦われた全世界的規模の戦争。1939年9月のドイツ軍によるポーランド侵攻と続くソビエト連邦によるポーランド侵攻、そして英仏からドイツへの宣戦布告はいずれもヨーロッパを戦場とした。人類史上最大最悪の戦争。
引用:Wikipedia
第二次世界大戦では、日本はマルタとは敵陣に位置。イギリスが連合国軍の主要国だったこともあり、マルタがドイツとイタリアにひどく爆撃されました。極秘のイギリス戦争本部は、実際にはバレッタにあり、ラスカリス戦争室として知られる地下トンネルが張り巡らされた要塞がありました。東京23区よりも小さな島国に枢軸国陣営からの攻撃が相次ぎました。
この戦争で、国のために戦った戦士たちを称える記念碑がバレッタに建てれれています。
独立までの国内の動き
マルタの自治は1947年に回復し、その後マルタの政治は2つの意見に強く分割されました。
- イギリスとの「統合」を支持する。
- イギリスから「独立」を支持する。
しかし、1956年に行われた、国民投票の結果、英国の統合に賛成するが77%でしたが、投票したのは国民の59.1%だけでした。したがって、教会と民族主義者党のボイコットにより、結果は決定的ではないとみなされたのです。
月日は流れ、8年後の1964年9月21日 マルタは独立を求めました。
これによりマルタは、マルタ独立法および新しく作成された憲法に従って完全な独立を与えられましたが、イギリス女王エリザベス2世はマルタ女王の称号を保持していました。
10年後の1974年12月13日、マルタ憲法が改正されたのち、マルタは共和国になりました。マルタの最初の大統領であるアンソニーは、女王を国家元首として交代させました。
独立記念碑
バレッタのバスターミナルを降りてからトリトンファウンテンからシティゲートや市街地とは反対方向に進んで行くと記念碑があります。
独立記念イベント
最初に宣言を発表した9月21日が祝日となり、マルタの歴史上で重要な日を祝うために、毎年さまざまな活動が行われています。マルタ全土がお祝いムードとなり9月20日~21日の夜まで何千人もの人々、地元の人々、観光客が町に集まります。
- フェスティバル
- 音楽パフォーマンス
- インガーディアンパレード
- コンサート
- その他文化的イベント
これらの催しで賑わいます。
インガーディアパレードでは、騎士団の下で行われた戦闘の見事な再現が見られます。
聖ヨハネ大聖堂では、壮大な儀式のミサとマルタフィルハーモニー管弦楽団による大聖堂でのコンサートが催されます。
最後に
マルタと日本の意外な繋がりやマルタの公用語に英語がある理由など歴史的背景を知ると滞在時間がさらに楽しくなります。相手の攻撃を耐え忍ぶための街づくりや構造となっているので考えながら観光するとマルタの歴史に触れられます。
バレッタに行った際には是非、足を運んでみてはいかがでしょうか。
こちらからは以上です。
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