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【布団の中からマルタ】を運営している

”ひろ”と申します。

神奈川県で生まれ育ち、小さい頃から好奇心旺盛でしたが大人になってからは何もない日に家の中でゴロゴロしてるのが一番幸せだと感じる人間です。

僕のこれまでとブログを書くまでの経緯を少し長くなりますが紹介していきます。

中学校時代

小さい頃からサッカーや運動大好きで「雨の日でも外じゃ!!」ってくらいに活発的な少年でした。中学の頃は部活のキャプテンで県の選抜にも入ってたので人より少しスポーツは出来ました。勉強も高校では強豪校に行くために頑張って4.5くらいは取ってまして。

中学2年生の時「よし、高校どこにいこう?」

って考えた時に

家に帰ったらご飯が用意されていて、疲れて寝ちゃっても汚れた洗濯物は次の日の朝には綺麗に畳まれている。

とても幸せなことだけど、

こんな甘えた生活じゃなくて、全部自分でやらなければいけない厳しい環境で親元から離れてサッカーだけに集中出来るに場所に進学しよう!

こんな自分に厳しくスタイルが大いに発揮されました。

そこで、やるからには一番厳しそうな

【全国の中で全国大会に一番出場している高校に行こう】

と考え、友達も親戚もいない、自分のことを誰も知らない県外を選びました。

滑り止めで他の高校も受けて…は一切なく、

受ける前から落ちる想定してるくらいならその時間で受かるための努力をする!と思い、人よりも努力して無事に強豪校に合格。この時、

自分が思い描いたことを頑張って取り組んだら何でも出来る!

なんて思ってました。

まさに、順風満帆。

そんな上手くいくわけないのが人生だとそのあとすぐに知る。

合格が決まってから準備をしてたある2月。

両親から部屋に急に呼ばれて兄と正座させられました。

この時、両親が泣いているのを人生で初めて見た。

これまでずっと厳しかった父が言いました。

「申し訳ないけど離婚することになった」

夜な夜な喧嘩を繰り返していたことはもちろん知っていた。

けど、いきなり家族じゃなくなる現実は悲しく、

涙で「強豪校に行く!」どころじゃなかったのを今でもはっきりと覚えている

いろいろあったけどここまで育っててくれて、

県外の高校に通わせてくれた母には本当に感謝してる。

いざ、誰も知らない世界へ

悲しみが残るまま、地元のみんなには「全国絶対出るから応援来てな!」なんて言ってたけど内心は「友達出来るかな」「上手くなじめるかな」とか不安ばかり。

でもそんなことは承知の上で県外を選んだのだからなんとかするしかない。

自分が高校1年になった頃はまだ体罰は日常的で

監督からだけでなく先輩からもいじめがある中、幸せなことに一年生の初めからレギュラーとして使ってもらっていました。3年生がその状況を良く思うわけがなく練習中はよく痛い思いをしました。

「試合にも出てるし覚悟決めて来てんだから人よりも努力しろ」と監督から自転車の使用を禁じられて、朝と部活終わり、雨の日でも雪の日でも数時間かけて往復12km走って通ったりもしていました。

 

  1. 親の離婚
  2. 環境の変化
  3. 支えとなる人もいない
  4. ボール磨きなどの雑用
  5. 長時間の通学
  6. 下宿生活で家に帰っても先輩がいて心が休まらない

サッカーどころではなく、

試合に出てるのに試合中の記憶がない➡納得のいくプレーが出来ない➡何度も怒鳴られるからもう試合に出たくない。

負けず嫌いで負けると泣くほど悔しがる人間だったのに負けてても試合終了の笛が鳴った時が一番幸せな瞬間に感じるほど追い込まれてしまっていました。しかし、入学してから時間もあまり経っていなかったので仲いい友達はいない、地元の友達にも親にも心配かけられない。だから、誰にも言わずに一人で抱え込んだ。そんな状況だからもちろんいいプレーも出来ず、そんな自分にイライラして空回りして。

さらに追い打ちがかかる。

疲労困憊のはずなのに次の日を迎えたくないからなかなか寝られない➡朝起きられない➡朝ご飯を食べない➡遅刻が増える。昼にはお腹空いてたけど、母1人で自分と兄の学費や生活費を払っていてくれたのでこれ以上迷惑かけるわけにはいかないと考え、学食で一番安い160円のミニ丼だけ食べて”親の頑張って稼いだお金”を使って好きなことなことやらせてもらってる自分が贅沢しちゃいけない!と思ってた。冬の氷点下でもストーブをつけることもしませんでした。

そんな状況の中、負けたら降格が決まる大事な試合がありました。

けれど、スタメンの自分が寝坊してユニホームも忘れるという前代未聞の事件が起きる。

監督、コーチ、スタッフ、先輩にこれでもかと怒られ、「地元に帰れ!二度と俺の前に現れるな!」と言われ、チームから除籍されました。

この時に朝ごはんを食べていない、昼ごはんはミニ丼などの生活が知られとそれに関しても物凄く怒られた。この時のコーチに「親が何が一番屈辱かわかるか!?自分の子供にお金の心配されることだ!!!」と言われた言葉は生涯忘れないと思う。

ここで大事なのは帰れ!二度と俺の前に現れるな!と何度言われても絶対に帰ったりその場からいなってはいけない暗黙の了解で本当に帰ったら地元に帰るしかないので、試合が終わるまでスタジアムと付近の施設のゴミ拾い、掃除を7時間やりました。けどチームは大事な試合に敗れ、怒りの矛先はわたーーーしの元にすべてやってきました。

そこからがさら地獄

除籍されて何度謝りに行っても許してもらえてないので、練習に参加出来ず毎朝、暗いうちに家を出て、漫画のワンシーンみたいにグラウンドの草をむしって山を二つくらい作ったのち、監督が学校に来る時間を調べて再度、謝罪に行きました。成果がないと許してもらえないと思ってたから。

その結果!口も利いてもらえず監督の視界に入れることすら許されず、無視。無視。来る日も来る日も無視をされ、そんな日々が2週間続いた。終わりの見えない生き地獄でした。

それでも、諦めることなく2週間続けた結果、やっと許してもらえました。

なんでここまで頑張れたのか。ただただ、荷物をまとめて地元に帰ることは”送り出してくれた母”に対する最大の親不孝だ。これだけを思って何とか頑張れた。

徐々にお前そんなにやってすげーな!!と友達も増えて相談できる人も増えたけどピッチの上では自分自身で頑張るしか試合で使ってもらえることはなく、復帰してもサブチームにも入れないCチームでした。そこからでもまた頑張れば何とかなる!そう思ってた。

そんなに人生は上手くいかない。

ある時、遠征で東北にいました。

試合を終えて、携帯を見てみると地元の友達から不在着信が20件ほどあった。

何事か!と思い、風呂の時間にかけ直してみると

「○○が亡くなった…」

仲の良かった友達で遠征前に4日間の長期休みで会ったのが最後。

「次帰ってきたときは免許取って、車も買っとくから遠出しような。」

これが最後に交わした言葉だった。

涙が止まらなくて、サッカーどころじゃなかったので監督に話に行った。でも、前科持ちの信用0の人間の話は聞いてもらえず、事情を話すことも出来ずに遠征最終日も試合をした。なんとか頑張って試合をした。けど、帰りのバスでもまた、涙をこらえることが出来なかった。バスが到着してどうしてもお葬式には行きたかったので監督の家まで行った。やっぱり門前払い。それでも諦めるわけにはいかないので最後の手段、監督に何十件も電話をかけて泣きながら事態を伝えました。一日だけ休みをもらい飛行機で帰ることが出来た。お葬式に参加し、下宿に帰ってきたときにはすべてに対して疲れてしまっていた。「なんで自分はここにいるのだろう」と思った

軽い鬱病にかかる

その後、人と会うことも嫌になってしまい、寝る前には「このまま明日を迎えることがなければどれだけ幸せだろうか」毎日考え、ご飯も受け付けなかったので身長が171cmに対して体重が48kgまで減った。(平均体重が62kgに対して)学校なんて行ける状態でもなかったので仮病を使って一日中、布団の中でぼーっとして過ごしました。

時間はたくさんあったのでいろんな動画を見たり、映画を何十本も見て自分以外にも様々な状況でがんがっている人たちの存在を知りました。

そこから ある考えに行きつきます。

今が人生のどん底ならこれ以上辛いことはない。

明日を生きたいと思っても世界には生きなれない人がたくさんいて、

自分は幸せ者なんだ。

ここから人も行動もすべてが変わる。

自分がつらい経験をしたからこそ、

  • サッカーが出来ること
  • 食べることができること
  • 街で知り合いに会えたこと
  • スーパーで50%OFFの商品を買えたこと
  • ご飯を食べることが出来ること

こんな小さなことがとても幸せなことだったと知り、生活も行動も変わりました。

心に余裕があるからこそプレーも良くなって、一生付き合う友達もたくさんできて監督からの信頼も徐々に勝ち得てきました。

それでもハッピーエンドはない

自分が3年生の時のインターハイ地区予選決勝で冬の選手権では準決勝で負けた。

結果は出せなかった。全国に出るためにやってきたのに叶わず、スタジアムの外でずっと泣いた。

行動や生活が変わっても結果が出るわけではない。

しかし、そんな自分のことをずっと見ていてくれた人もたくさんいました。

お世話になっていたプロサッカー選手の方にご飯をご馳走になり「お前は本当によく頑張ったと思う。普段こんなことしたことないけどお前だけは特別に」と言ってもらえたくらい頑張っていたらしい。


だいたいこんな感じで無事生きてきました。

いまだからいい思い出話で済むけど、当時は本当に辛かった。

けど親元を離れて挑戦したこと、めちゃこら厳しかった監督に出会えたこと、

両親やそのすべてに感謝してる。

生まれ変わってもまた同じ高校に進学します。

行動する大切さを知って

自分のことを誰も知らない所にいくと人としても考え方も成長できると知ってしまったので

大学に入ると日本の外に行くことを考えました。

バイトしてお金を貯めて、1人で語学留学に行きました。

ここで声を大にして言いたいのが英語は小学校のころから大っ嫌い。

なんだこの呪文は!?

くらいにしか考えてなかったので

強制的に受けさせられたTOEICの試験では200点程。

そんな人間が1人行ったもんだからソリャ大変でした。

初日からレストランに騙された事件はこちら

【海外でのトラブル!】レストラン店員と英語での壮絶な戦いとは?

なんでそんな状態で行こうとか思うのバカなの?

と思われて当然。それでも日本だけにいたら日本人の考え方しか理解できない狭い考え方になるから意地でも行ったるわ!

固定概念をけちょんけちょんにぶっ壊してくれ!

これが原動力でした。

なんとか、帰国して強く感じたことがあり、

日本はなんて安全で、トイレが綺麗で、

お風呂もあって、海外に比べたら

何不自由ない国だったんだろう。

そんな国に生まれたことを誇りに思うけど…

あんまり刺激がないな。

帰国してから2日後に

大学を休む手続きを済ませて、1年間の予定をすべて変えて、

半年で資金を貯めて、海外で長く生活してみよう!

と決心して、地中海にあるマルタ島に長期留学をしました。

これがもう素晴らしい国で完全に魅了されてしまったのですが、

マルタに関する情報が調べても全然出てこないのが現状でした。

なるように時間は流れて

布団に、こもっていたうつ病になりかけるまでの精神状況だった、英語が全く出来ない人間が

1人で日本の外からも出ちゃったって話に至るわけです。

こんな人間でも経験や体験を

もっと聞きたい!話が聞けてよかった!勇気出てきます。

と言ってもらえることが多くて、

自分が経験したからわかることがあって

マルタをもっと知りたい、こんな自分を変えたい

行動に移すことができない人、海外に興味がある人、

海外には行ってみたいけど英語に自信のない人の為に

ブログという形で文章に残していくことを決めたのが始まり。

ブログの作り方、何か悩みをお持ちの方、連絡等ある方連絡ください。

そんなのねーよ、バーカという方は是非、他の記事も読んで感想を聞かせてください。

こちらからは以上です。