現在、日本の新たな観光地として大きな注目を集めている
地中海にあるマルタという国の経済についてはあまり、観光本には扱われておらず、知られていないことが多くあります。
そこで本記事では、実際にマルタで暮らし、マルタ人から聞いたマルタの経済はどのようになっているのかを紹介します。
マルタ経済はイギリスに大きく依存していた?
マルタ経済は1960年代半ばまで、イギリスの植民地であったため、イギリス軍の存在に大きく依存していました。そのため、言語も英語とマルタ語を今でも国語として話しています。
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しかし、1950年代にイギリスはその軍隊をマルタ領土から撤退させ始めました。この出来事がその後のマルタ経済に劇的な多様化を必要とし、大きな分岐点となるのです。1959年以降の一連の開発計画で、民間投資を奨励するための政府の補助金、ローン、その他の財政的インセンティブによって支えられていました。
1980年代後半までは広範な輸入規制と資本規制が1990年代に徐々に解体され、マルタ政府が1999年から段階的な民営化政策を推進するにつれて、マルタはより市場主導型の経済に移行しました。
マルタは他国からの輸入品に支えられている?
東京23区よりも小さな島面積であるため、国内市場が小さいために大きな制約に直面しており、作られるものや人材は限られた資源となっています。
そのため、マルタ経済は多くの輸入品を他国に依存しているのが現状となっています。輸入品は関税などが掛かってくるため、その分値段も高くなっている傾向にあります。
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マルタの天然資源が少ない国?
マルタは天然資源に恵まれておらず、唯一の利用されている鉱物資源は石灰岩です。
1990年代半ばから沖合石油探査が進行していますが、重要な石油埋蔵量は発見されていません。
化石燃料は100%輸入され、マルタの全エネルギーを供給しています。
マルタとゴゾの両方に火力発電所があることからマルタの発電は火力と化石燃料による、発電に頼っています。
マルタのお金の歴史
マルタの中央銀行は1968年に設立されました。マルタの旧通貨、リラは1972年に採択されました。
2008年1月1日に、ユーロは国の公式通貨になりました。
銀行システムは依然として非常に集中しており、地方の商業銀行の半分が総貸付金および預金の約10分の9を占めています。2002年に設立されたマルタ金融サービス局は、これまでマルタ中央銀行、マルタ証券所、およびマルタ金融サービスセンターによって実行されていた監督機能を引き継ぎ、独立した団体であり、金融サービスの単一の規制機関です。
マルタ政府は奨励し促進する直接外国投資を2000年代初頭に増加し始めた。
マルタ経済を支えているのは観光産業
サービスはマルタのGDP(国内総生産)の約半分を占め、従業員の約5分の3を雇用しています。
マルタでは観光産業が主な収入源であり、6月から10月のハイシーズンとなる季節が利益を生み出すために重要な期間となっています。
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いくつかの注目すべき観光地には、ゴゾ島の古代巨石寺院Ġgantija 、マルタ島のĦaġarQim、Mnajdra、Tarxienの寺院があり、これらの寺院群は1980年にユネスコの世界遺産に指定されました。
またマルタには壮大な中世の城や大聖堂、そして古代の内陸の首都イムディーナなど世界に誇る観光名所が多数あるのです。その反面、観光はマルタの島々の自然環境に大きな影響を与えしまったことにより、政府は地域ぐるみで自然環境や歴史文化など、
地域特有の魅力や見どころを観光客に伝えることにより、その価値の大切さが理解され、保全に繋がっていく仕組みとしているエコツーリズムの促進しています。
最後に
以前は、ヨーロッパの人々が現実逃避をするためのリゾート地として考えられていましたが、
多くの日本人が新たな観光スポットとしてマルタを訪れ、注目度が高くなっているため、マルタ経済にとって日本のマーケットはマルタにとっても重要となってくることでしょう。
こちらからは以上です。
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